教育事業に夢を築く人を賞
親切に人に接し、ユーモアに富み、学識が深く、洞察力が強く、組織能力
が優れ、マクロ視野を持っている。以上は皆陳純適校長に対する印象で
ある。私にとっては陳校長は心のこもった、積極的でパワーフルで学習や自己を高めることなど怠ることなく教育事業に対して全ての情熱を注いでいる優れた人物である。
特に人を感動させれくれのは、生徒たちや、学校、教育業務に対して十年一日の如く不満も言わずに自分の人生を捧げた来たことにある。これはただ責任感に裏づけられただけではなく教育に傾けた情熱が彼女をそこまでさせた所以だと思われる。
『初心忘るべからず』という信念でもって長い道程を経りながらも初志を一貫して遣り通してきた。彼女は校長先生であるにもかかわらず、ずっと知識を追い求める。正に「学習は観念を育む。観念は変革を導く」の如く。彼女は弛まず勉強に励んで、自己の能力を高めさせ、そして南栄中学を優秀から卓越する道へと導いていく。
管理の角度からみれば、個人と組織を互いに整合するプロセスにおいて、動態的な影響作用として一番強いのは指導力にあると思われる。換言すれば、
指導能力の優劣は指導者はいかに『群策群力、以竟事功(全員力を合わせ、知恵を搾り出し、目標を達成する)』発揮できるかは決まる。つまり指導者の執行力がものを言うことである。皆が認めたように陳校長は優れた経営企画と管理の能力を持っている。教育事業において、先見の明があり、ビジョンを構築する間にも、自分の意思を主張することより彼女が周りより意見を取り寄せ、よいアドバイスを自分のと融合し、教育目標を具体化させる。リーダーとしてパートナーを引率して、教育業界で素晴らしい功績を立てた。彼女は卓越する指導者としての「ビジョンと計画を立てる能力」及び「洞察力」の二つの素質を持っていることが分かった。
都会と農村の間、一番の隔たりは文化の刺激にあるのだ。都会の子供たちは
美術や音楽、文学の作品に馴染む機会がきっと農村の子供たちより恵まれるに違いない。都会に住む大半の親が子供を連れて、音楽会や美術館、博物館など見学にいくことがよくある。引いてはスピーチを聴きに行ったり、子供達に世界的有名な文学作品を紹介してあげたりすることは田舎の子供たちより人文的素養が早くから培い、影響を受け始めたわけである。比べてみると、田舎の子供達はこの面では不利な立場にある。大半の田舎の子供たちは親に頼って文化の刺激をもらうことができない。ただ学校で先生に教わるしか道がない。
陳校長は子供の成長過程において文化からの刺激を受け取れば、受け取るほど常識が豊かになり、しゃべり方が上品になれ、視野も広げられ、そして将来成功するチャンスも自然に大きくなることが十分わかるので、彼女はいくつかの芸術性を持つクラブを成立したり、昼食の時にクラッシック音楽を流したりして、そうすることによって生徒たちに核心の能力を育成させるだけなく、基本的な人文素養を持つことができるように期待をかけている。。彼女は積極的に将来へ向けて世界的良質の公民を育つことを約束することを努力している。
この点を見ただけで、陳校長は生徒たちの立場になり、物事を扱うことが分かった。今の子供たちの待っている将来はもっと要求の高い、競争がもっと激しい時代である。将来を見据えて小さい頃より様々な技術や能力を身につけておけないと、競争力を持っている人間にはなれないし、取り残されることも十分に予測ができる。彼女はこうやって苦心惨憺に生徒たちを育てることに最大の努力を払い、多元的な学習環境を作り、教育の資源に限りがある状況で彼女は効用の最大化を追い求めながら、教育の理念を実践した。こんなに優秀で卓越した先生と面を向き合って、学生としての私は尊敬し、胸いっぱいで感無量である。
人間として一生の間、、己の成就を嫉妬しない、且つ、誠心誠意でもって己の成功を祝福してもらえるのは二通りの人である。ひとつは親から、もうひとつは先生である。われわれは学業にが成果が現れた時、この人たちにとって一番の慰めである。大きくなって事業に成功した時、この人たちは誇りを覚えてくれる。われわれは人生の本当の幸せを得られることは、この人たちにとっては一生心から待ち望む事である。
私から見た陳校長はまさにそのような素晴らしい先生である。彼女はずっと生徒たちに与え続け、報われることを望まない。ただ教え子に将来、国と社会に対して、役に立つような人間になれることを期待する。一流の学生であること、ひいては価値のある人間になるようにひたすら祈ってくれる。
特に陳校長は長い間を渡り、私の面倒を見てくれて、私を育ててくれた。彼女の品格に深い感銘を受けた。こんなに優れた先生と出会えたことは私にとって、最高の幸せだ。私は大学を卒業する前夜に当たってこの文章を卒業のプレゼントとして、陳校長にさしあげたいと思われる。
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創意風格が溢れる南栄キャンパス
春百花繚乱の時に際し、落ち葉でさえも上品に振舞い、相変わらずその純真な素朴さを保っている。南栄中学における吹奏楽、弦楽、踊り、柔道、陸上競技、水ロケット及び合唱団などのクラブが、落ち葉のような素朴で純真な特性を持ち続け、世間に媚びる古い固定観念より抜け出し、積極的に人間を中心としての全人教育を営んでいる。『創意風格が溢れる南栄キャンパス』それこそが、本校の創立者陳耀火は築いた事業に対し、もっとも相応しい描写である。
本校の創立者陳耀火はもう八十一歳となった今でも、学校を設立した当初と変わらない精神と理念を持ち続けている。学校においてのハードウェアの建設
より、キャンパスの緑化、生活の教育及び多彩な学習を作ることなどに元気で精力的に参入して、「崁頂 」のために積極的に高品質の学習環境作りを構築し続けています。
思う存分自己発揮をさせる
「私には一つの夢がある」、そのアメリカ、キンエン博士の夢は黒人の民権運動を引き起こし、引いてはアメリカの歴史をリライトをした。
同じように「私には一つの夢がある」と、陳耀火さんは全人教育のために
崁頂鄉を選んだ。そこで南栄中学を設立し、彼は使命感を持つ先生たちを率いて一緒に教育の新楽園ー南栄中学を築いた。三十八年来、彼は同じ情熱を持ちながら、生徒の一人一人が学校に入ってくる姿を見守り続けてきて、真摯な心と行動力を持って、キャンパス文化を築くことに美しい歴史を残してくれた。
記憶に南の朝日は毎年の十月となっても厳しい残暑の猛威を振っている。創立者はそんな気候にまるで慣れたようで、致誠樓から尚勇樓まで、博雅樓から返樸樓までキャンパスの隅々に彼の姿が見かけられる。
彼は子供其々独特で貴重な個性を持っていると信じ、自分の個性を活かせる子供を育てるという「夢」を叶えたいために、彼はその固い信念でもって自分の事業に全力投球をし続け、子供達のために自分の人生を捧げた。三十八年の歳月が流れたが、負けず嫌いな精神を持っている陳創立者が子供に命の究極の美を発揮できる力を育てることにその強い意志を貫いてきた。
太陽の光を浴びながら、南栄中学校は陳創立者の前進的な考案によって飛躍的な進歩を成し遂げ続けた。
適応性と人間性を両方重視する
良い「生活教育」があったからこそ善い品格が生まれる。陳創立者は新米の教師を培うことに力を注ぎながら、学生に対して日常生活における躾も厳しく要求する。学生の服装から、指の爪、髪の毛の長さ、及び環境の綺麗さについて細かい管理の内容を決めてある。それと同時に、出来具合によって試合のイベントを行う。そうすることによって、生徒それぞれ自分が属するクラスに対する名誉と誇りを培い、確実に生活に対する良い習慣が求められることが可能となった。
従って、本校における生徒たちの躾やマナーについて,好評を博した。毎年、県で行われる試合でいつも優勝の座に輝く。この実績は地元の家長たちに限りではなく、付近の家長たちまでに認めてもらい、わざわざ本校に子供を送り、就学させると良い結果となった。
親の立場としては自分の子供を南栄に入学させたら、非行に走らず良い子になると深く信じるようになり、南栄中学も「教養第一」「礼儀第一」「品格第一」 、「秩序第一」という美誉を勝ち取った。
柔道武術は子供の世界を広げる
生活における躾を要求する外に、興に乗って楽しげに話せるのはやはり、陳創立者の「柔道武術」の精神である。彼は八十一歳を越えたにもかかわらず、立居振舞いに年齢をかんじさせない機敏さを持っている。生徒全員が皆陳創立者、陳明義コーチー及び林素稜コーチーより柔道を教わる
生徒たちは陳創立者の指示に従って、柔道を日常生活に取り入れ、引いては武術の真理でもって謹慎な生活態度を身につけるようになり、文徳と武徳両道を兼ねる生徒にまで成長する。
柔道を習得したメリットとしては、学生の話によると、もしバイクに乗る時、誤って転んだ時に自己防御の機能を発揮できて身体や頭部を守り、傷つけることを防げるとのことです。たとえ事故に遭ったとしても学生の多くは大した怪我をせずに済んだ等等。また、武術をのこつを生かし、生活に溶け込むことは陳創立者が要求した所以である。
筆者はクラスを担任したことがあったので、武道館に入り、皆練習している現場を見学したことがあった。そこで『入場耐苦習芸知分寸、出場守徳知礼為謙和』という訓示に深く共鳴共感を覚えた。武道を習う目的は健康のためだけではなく、道徳を修めるためにもなる。その武士道精神に基づいて、陳創立者が本校を管理する所以である。長年それに力を注いだ成果としては、本校の生徒たちは殆ど全員武術の基礎を持つようになり、それが本校の特色でもあった。各武術の分野に関しても、毎回中小学校の試合で良い成績を獲得できた。
親身の会話で知恵を引き出す
英語の「教育」という言葉は元々ラテン語「引き出す」という意味である。
西洋のソクラテンスは直接的に知識を教えるより会話と弁論を通し、一歩一歩相手の思考を啓発し、知恵を導き出すという方法を採った。
陳創立者も同じ方法を取った。彼はよく事務室で直接生徒と会話をする。言葉を交わすことによってコミュニケーションを取る。生活態度から、躾、モラル的な問題まで会話と弁論を通し、生徒の知恵を引き出す。キャンパスの隅々まで、彼はまるで助産士のようで、生徒が生まれつきの知恵をうまく導き出す力を持っている。彼の精密な会話のテクニックで非行になりかける生徒や人生の迷子になりそうな生徒を挽回できた。
教師から学生へと
健康的で楽しく歌い継がれていく詩
五月の南栄はキャンパスに農村の自然な風土の香りが風に乗って漂っている。田園風景をもっていて、エネルギーが溢れるキャンパスに
ふとある人の凛々しい後ろ姿が見かけられた。 陳創立者は一生をかけて、自分の人生に美しい詩を残しただけではなく、活力的で、希望が溢れ、新しいビジョンを持てる南栄キャンパスを持たせてくれる。
美は彼との会釈から始まったように、健康的で楽しい詩は、
教師から学生へと歌い継がれていく。
永遠の常緑樹
マウスを移動させたら、次の瞬間に 『誠朴仁勇』という文字は次から次へと子供のホームページに現れてくる。これが創立者は子供一人一人に対する命の解釈である。と同時にこれも彼の永遠でこだわりの理想である。彼はまるでキャンパスの常緑樹のように、未来へ向かって走るキャンパスを支えてくれる。
陳校長 純適博士 致詞